ロニー・ファイグ との数奇な関係、世界を魅了する Kith イズムを語る
Edit & Text by Yukihisa Takei(HONEYEE.COM)
Photo by TAWARA(magNese)
東京のファッション関連店舗の中でも屈指の存在感を放つKith Tokyo(キス トウキョウ)。広い店内にはオリジナルのアパレルコレクションのメンズ、ウィメンズ、キッズが並び、選び抜かれたフレッシュなスニーカーやシューズも美しく整然と並ぶ。同店はニューヨークで開業したスニーカーを中心としたライフスタイルブランドであり、リテールブランドでもあるKith の直営店として2020年にオープン。以降、4年経った現在も常に賑わいを見せている。
このKith Tokyoのディレクターおよび日本の窓口を務めているのが、今回取材をする俣野純也という人物だ。ところが東京のファッションシーンの中でも知られた存在である一方、この人が一体どこから来て、何をしている人物なのかは意外と知られていない。
今回HONEYEE.COMでは、これまであまりこうした取材に前向きでなかったという俣野純也に交渉し、インタビューの機会を得た。Kith 創業者であり、“世界で最もスニーカー界に影響力がある”と言われるクリエイティブディレクター兼最高経営責任者のロニー・ファイグ(Ronnie Fieg)との特別な関係性、そしてKithというブランドの独特な思考法など、これまでほとんど語られることのなかったKithと俣野自身について聞いた。
アメカジ好きが高じてアメリカに単独進出
俣野は東京生まれ。早くからアメカジファッションの洗礼を受け、90年代のいわゆる“渋カジ”ブームの真っ只中にシーンの中心に飛び込んだ。
「高校を卒業してすぐに、レッドウッドなどのお店で時代を築いたユニオンスクエアという会社にアルバイトで入りました。そこの先輩方に本当に色んなことを教えてもらったのが、今でも間違いなく僕のベースになっています。その後はインポートの卸会社に勤め、セールスやアパレル・シューズの企画を経て、31歳の時に独立しました。アメカジ好きなので、アメリカで物作りがしたいと考えて、LAでカットソーのブランドを始めたんです」
比較的にすぐに始めやすい日本生産でブランドを始めるのではなく、アメリカ物が好きという理由からLAに渡りアメリカ生産始めるあたりに俣野の行動力が表れているが、俣野はほどなくして今度はメキシコの地に赴く。
「知り合いからメキシコで革靴を作れると聞いて、興味を持ちました。というより、まずはメキシコに行ってみたかったんです。そこで2008年にCAMINANDO(カミナンド) というメキシコ生産のシューズブランドを立ち上げました。日本への関税がかからないので、高品質なシューズを安く提供できたこともあり、日本のほとんどのセレクトショップに卸すことも出来て、おかげさまでとても順調でした。そうするうちにニューヨークのショールームからも声がかかり、今度はアメリカでも販売をすることになるんです。そこでKith のロニー・ファイグとの運命的な出会いが待っていました」
ロニー・ファイグとの出会い
自らのシューズブランド CAMINADO を引っ提げて、世界中のバイヤーから注目を集めるニューヨークやラスベガスのトレードショーなどにも出展した俣野。そのブースに興味を持ってやってきたのが、まだ20代後半の若きロニー・ファイグだった。
「当時ロニーは、David.G というシューズショップのバイヤーだったのですが、CAMINANDOの靴を『カッコいい』と興味を持ってくれたんです。当時のロニーはいわゆるストリートスタイルな格好で、『こういう人も革靴に興味を持つんだな』と不思議に思った記憶があります。彼が働いていた店では結果的に商談は成立しなかったのですが、それでも毎回展示ブースに遊びに来てくれて、その人懐っこさと人柄にどんどん惹かれて、友達のようになったんです」
何年かの友人関係が続いたのち、俣野はロニーが独立する話を打ち明けられる。俣野は何年かの付き合いを経てもロニーが何者なのか十分に分かっていなかったが、ロニーのオフィスに呼ばれて行くと、数々のスニーカーやシューズブランドとのコラボレーションを成功させていたキーパーソンであったことを知った。
「その時ロニーにもらった、ローズピンクにアレンジした ASICS のスニーカー(Ronnie Fieg x ASICS GT-II Rose Gold)を見て衝撃を受けたんです。当時のASICS は僕ら日本人からするとランニングシューズのイメージが強かったのですが、それがこんなにカッコよくなるんだということに驚いたし、嬉しくて。それを履いてニューヨークの街を歩いていたら、『お前ソレどこで手に入れたんだ。今や1000ドルで売られているヤツだぞ』と声をかけられました。それが2010年頃のことです」
その後もロニーと俣野は、2011年に立ち上がったKith に CAMINANDO のシューズを卸す取引先の関係でありながら、俣野はKithのオープニングイベントなどには必ず呼ばれるなどして、友人関係は継続していく。そしてわずか数年でKithがアメリカの中でもヒップな存在として急成長を遂げる姿を、俣野は間近で目撃していた。
「Kithがアメリカで爆発的に大きくなったのは見ていたのですが、ロニーと僕の関係は良い意味で全く変わりませんでした。2015年に日本のUNITED ARROW & SONS でKithとPUMAのポップアップをする際に彼が初めて来日するのですが、僕がアテンドを頼まれて、東京の街もあちこち案内しました。ロニーはそこで心底東京が好きになって、『ジュンヤ、いつか東京にKithを出したい』と言うようになったんです」
Kith Treats で東京発進出
現在Kith Tokyoが入るMIYASHITA PARK の2Fに入っているKith Treats(キス トリーツ)は、2016年にロニーが本国でプロデュースした、シリアル入りのアイスクリームバー。ニューヨークのショップ内コーナーは人気を呼び、シューズ目的だけでない新たな層も獲得していた。
その頃、神南のNANO UNIVERSEの隣にあった小さなパン屋の跡地を見て俣野は、「いつか東京にKithを出したい」、「いつかキオスクみたいな小さなショップで面白いことをやってみたい」と話していたロニーの言葉を思い出した。
「ロニーに『東京のあの場所を覚えてる?』と聞いたら、彼も覚えていて、『そこを僕が借りるから、KithTreatsをやってみない? ただアイスクリームを売るだけじゃなく、定期的にTシャツとスウェットをリリースしてみるのはどうかな』と提案したら、すぐにやろうという話になりました。小さいスペースですが、それがKithがアメリカを超えて海外進出した初の店舗になったんです」
2017年にオープンしたその場所は、あの海の向こうのヒップなKithのエッセンスを感じられる日本唯一の店舗であり、Kith Treats のアイスクリームの独特な食感も話題を呼んで、すぐに人気スポットに。
一方その頃Kithはアメリカを中心に爆発的な人気となっており、ロニーのところには東京を含め、世界中のデベロッパーからのラブコールが届いていたという。
“ジュンヤはビジネスパートナーじゃなくて、ファミリーなんだ”
Kith Treatsの小さな店舗を成功させて暫く経ったある日、俣野はロニーから「ジュンヤ、ニューヨークに来てくれ。相談したいことがある」と連絡があった。
「今でもそうですが、Kithの全体像はロニーの頭の中にあるので、僕が知らないこともたくさんあります。その時もどんな話があるのか分からず行ったのですが、ロニーから言われたのは東京本格進出の話でした。『ジュンヤ、東京から面白い出店のオファーがあった。でもまだサインはしていない。なぜならそこにジュンヤが協力してくれるかどうかがキーだからだ』と言うのです。ロニーは僕が CAMINANDO の会社を持っていることで、別の会社の経営に加わってくれるかを気にしてくれてました。でも僕もKithへの愛があったので、確かに誰か別の人がやるのは見たくはなかった。すぐにCAMINANDOの会社のメンバーと相談して、ジョインさせて欲しいと引き受けたんです」
ロニーが来日し、最終契約のサインを行う際、俣野は今でも忘れられない言葉をロニーから聞くことになる。
「ロニーがそこにいる全員の前でこう言ったんです。『皆さん、日本ではジュンヤの言葉が僕の言葉です』と。もちろん僕を鼓舞する意味もあると思いますが、それでも僕は嬉しかったし、同時に責任とプレッシャーを感じました。でも10数年友達としてやってきて、彼のビジネスや環境は大きく変わったけど、僕への接し方は何も変わらなかったし、『ジュンヤはビジネスパートナーじゃなくて、ファミリーなんだ』と言ってくれたことで、その意志はより強いものになりました」
店舗エクスペリエンスを最重視
2020年、コロナ禍真っ只中にスタートしたKith Tokyoだったが、開店当初から待ち侘びた日本のファンが訪れ、コロナ禍明け以降は世界中のKithファンやスニーカーファンの東京の目的地のひとつになった。フットウェアは、Kithグローバルの流れを汲みながらセレクトを行なっている。
「日本で独自のセレクトをすることはありますが、全てロニーの確認を取っています。彼は非常に多忙なのに、そういうところは今でも細かく目を通すんです。“Kithらしさ”はその審美眼にあります。たとえ売れているモデルであっても、Kithでは全色揃えることはありません。その中からKithらしいカラーを1色、多くても2色をチョイスします。非常に手間のかかることをやっているのですが、それがお客さまからの信頼にも繋がっていると思います」
また意外なことに、Kith Tokyoでは、この時代にあってもオンライン販売は行っていない。これはロニーと俣野の間で日本進出の際に取り決めたという。
「実際不便だし、さまざまなご意見もいただくのですが、まず、Kith Tokyoが重視する“五感”を刺激する“エクスペリエンス(体験)”をお客さまに提供するため、店頭での販売のみに限定することにしました。お店に入ると、このギャラリーのような空間が視覚に飛び込み、ロニーがセレクトした音源が響く空間(聴覚)と、Kithオリジナルの香り(嗅覚)の中で商品に触れ(触覚)、2Fに上がってKith Treatsのアイスを食べてもらう(味覚)。その全部の体験を通して商品を提供しないと、ただモノを売るだけの表面的な場所になってしまうと考えたんです。そして実際そうしたことで着実にKithのファンは増え続けています」
Kith というライフスタイル
つい最近、Kith はGIORGIO ARMANI(ジョルジオ・アルマーニ)とコラボレートした、スーツ中心のアパレルコレクションをグローバルでローンチした。キャンペーンビジュアルには、ロニーをはじめ、映画監督の巨匠 Martin Scorsese(マーティン・スコセッシ)、俳優・ラッパーのLaKeith Stanfield(ラキース・スタンフィールド)、そして007シリーズでも知られる俳優のPierce Brosnan(ピアース・ブロスナン)といった豪華な面々が登場。意外な組み合わせでもあり、巨大なスケールのコラボレーションは話題を呼んでいるが、ここにKith というブランドの現在のスケール感や志向も表れている。
「このコラボレーションは、ロニー自身がスーツを着る機会が増えていることも背景にあります。そういう点でKithは、ロニーや僕らと等身大で成長しているとも言えます。ニューヨークのハンプトンにあるロニーの別荘に行くと、彼が今どんなことに興味を持ち、どんなライフスタイルを送っているかがよく分かります。そして僕らはその感性に忠実に、Kithをよりライフスタイル的なブランドにしていきたいと考えているんです。どんな靴を履いて、どんな服を着て、どんなクルマに乗って、どんな場所で、何を見て、どんなものを食べているか。それらをKithの中に反映させて行こうとしています」
ちなみにKithは2020年にBMW のM4ともコラボレーションしたクルマも世に送り出している。レザーシートまでKithのエンボス仕様となったそのクルマの販売日本価格は約1,680万円だったが、世界限定150台の車両がたった5分で完売したという。
「(約)1000円のアイスクリームを販売するKith Treats があり、1万円台のスニーカーから10万円以上のMaison Margiela(メゾン マルジェラ)やRick Owens(リック オウエンス)のスニーカーが並び、ストリートライクなKithのTシャツやスウェットも、GIORGIO ARMANI とのスーツのコレクションもあり、BMW とのクルマもある。これ全体でKith なんです。こんな世界観のお店やブランドはなかなかないのではないでしょうか」
最後に俣野が考える、これからのKithについて聞いてみた。
「まだお話しできないような取り組みがこの先も多く控えていますし、僕もまだ知らない構想がロニーの中にあると思います。ロニーもそうだと思いますが、人生は一度きりなので、Kithというものを通してこの先どんなことが出来るのか、僕自身が楽しみにしています。Kith Tokyoを任された時、ロニーから、『ジュンヤ、24時間Kithでいて欲しい』と言われていますが、僕もKith に対する愛情があるので、これからも楽しみながらすべてを傾けて行きたいと思います」
HONEYEE.COM
10 Questions to JUNYA MATANO
1. これまで見た中で、最も衝撃を受けたシューズは?
ロニー(・ファイグ)がKithをオープンする前にギフトしてくれたRonnie Fieg x ASICS GT-II Rose Gold。
これを見た時の衝撃は今も残っています。
2. スニーカーの中で、オールタイムフェイバリットを挙げるなら?
やっぱり自分のルーツはアメカジなので、アメリカ製のNew Balanceは履く機会が多いですね。
3. 海外に出張に行く時に必ず持って行くものは?(パスポートやスマートフォンを除く)
目が悪いのでいつもメガネをかけているのですが、出張先でもシチュエーションによって変えたいので、
毎回4、5個持っていきます。
4. 一番よく聴く音楽のジャンルは?
やっぱりヒップホップやR&Bが多いですね。
5. NYでオススメのレストランは?
ロニーが好きで、Kithのパリ、ソウル、マイアミ、トロントのお店の中にも入っているSadelle's(サドルス)という
ベーグルとスモークサーモンで有名なお店。いつか東京でもやりたいんですけどね。
6. 東京で一番好きな場所は?
僕は生まれ育った場所が千代田区永田町のあたりなんです。
だから国会議事堂とか、皇居、紀尾井町の辺りを見ると、子供の頃の記憶が蘇って、気持ちがリラックスします。
7 . ファッションの次に好きなものは?
クルマです。いろんなクルマに乗って来ました。
昔から「いつかポルシェにラフな格好で乗りたい」と言っていて、少し時間はかかりましたけど実現しました。
今はポルシェ964のカレラ2が愛車です。
8 .ファッションよりも好きなものは?
同じくらい好きなのは旅ですね。だから海外出張も楽しんでいます。
9 . 自分が絶対にやらないことは?
人が好きで、出会いやご縁が本当に大事だと思っているので人や仲間を裏切ることは絶対にしたくない。
そういう人や仲間を裏切ることはしたくないですね。
10 . 俣野さんがKith Tokyoを通して届けたいことを、ひと言で言うと?
Love for everything.
[INFORMATION]
Kith Tokyo
東京都渋谷区神宮前6丁目20−10
営業時間:11:00〜21:00
https://KithTokyo.com
https://www.instagram.com/Kith/
俣野 純也 | Junya Matano
東京生まれ。高校卒業後にレッドウッドなどを手掛けるユニオンスクエアにアルバイトでアパレル業界に。卸営業や企画を経て31歳で独立し、LA生産によるカットソーブランドを立ち上げる。その後メキシコに移り、2008年にメキシコ製造のシューズブランド CAMINANDO(カミナンド)を設立。2017年にロニー・ファイグと共同でKith Treats Tokyoを立ち上げ、2020年にKith Tokyoのオープンの際にディレクターに就任。
https://www.instagram.com/junyamatano/
[編集後記]
俣野さんとは2017年にKith Treatsが東京に出来て、ロニー・ファイグを取材した際に初めてお会いしている。その後もKith Tokyoなど色んな場所でお会いしているのだが、Kith以前に何をされていたのか、いつも聞きそびれていた。今回の取材ではそんな自分の聞きたかったことも含め、ロニーとの出会いや関係性、そしてKithというブランドについても深く知ることの出来た取材だった。(武井)