元BEAMS クリエイティブディレクターのヒットメーカーによる注目新ブランド
Edit&Text by Yukihisa Takei(HONEYEE.COM)
Portraits by TAWARA(magNese)
創業47年にも及ぶBEAMS。そのメンズカジュアル部門において、稀有なクリエイティブディレクターの肩書きを持つにまで至った中田慎介が、2023年3月に22年在籍したBEAMSから独立し、自らの新ブランド Unlikely(アンライクリー)を立ち上げた。9月にデリバリーが始まったファーストシーズンから、全国40ものセレクトショップ店舗での販売がスタート。その中には中田が15年在籍した古巣であるBEAMS PLUSも含まれている。BEAMS在籍時にもB to Bで数々の人気ブランドやプロジェクトを手がけてきた中田の新たな挑戦が、高い期待感を持ってファッション界に受け取られていることを証明している。ブランドをローンチしたばかりの中田のオフィスを訪ねた。
BEAMSと歩んだ22年
東京・千駄ヶ谷にある中田の新しいオフィスには、中田だけのデスクがあった。長年数千人規模の会社に属していたことを考えると、まさに小さな船出だ。
「僕は大学を卒業してすぐの2000年春、BEAMS PLUSの原宿店が出来た時に、オープニングスタッフのアルバイトとして入りました。そこから15年BEAMS PLUSに在籍しました」
BEAMS PLUSはセレクトショップBEAMSの原点に近い存在の部門。正統派のアメリカンカジュアルが集結し、BEAMS PLUPブランドのアイテムは近年では海外からも高い人気を誇る。中田はここでアメカジの流儀を徹底的に学んでいった。
「最初の数年は浸透しなかったのですが、ストリートブームが落ち着いてから再び王道アメカジの波が来たんです。その頃はFILSONとかにスポットが当たり、鈴木大器さんがENGINEERD GARMENTSを始めたり、その後ピッティ・ウォモに出るようになった時期です。海外では“イタリアン・アメカジ”も盛り上がるのですが、そこから世界的にニュートラディショナルのブームも来るんです。Thom Browneとかも出てきて、ボタンダウンシャツが売れて、みんながネイビーブレザーを着て蝶ネクタイをして。そうした流れは今回のUnlikelyにも繋がっています」
中田自身もかなり若い時期からアメカジに親しんできた一人だ。
「小学校の頃にファッションに目覚めて、中学生になってからHanesの赤の3Pパック、Championのワンポイントが入ったソックス、Levi’s®の501®を買い、古着にもハマっていきました。でも高校生になった頃に裏原宿ブームが来て、僕もどっぷりハマりました。藤原ヒロシさんにはかなり影響された一人です。でもしばらく経って、もう一度急に『やっぱりアメカジやばい!』って思った頃に、BEAMSの存在を改めて知って、BEAMSで働きたいと考えるようになりました」
「Unlikely」の誕生
中田は希望通りアルバイトからBEAMSに入社。BEAMS PLUSのバイヤー、ディレクターを務めたのちに、BEAMSのメンズカジュアル統括ディレクターに就任し、BEAMSメンズの全体を俯瞰する立場になる。そしてクリエイティブディレクターに就任すると、2016年にBEAMSの設楽洋社長が肝煎りで立ち上げた「BEAMS外の仕事をするセクション」の業務にも従事するように。その第一弾プロジェクトが、今人気絶頂の釣具メーカーによる新たなアパレルブランドの立ち上げだった。
「外部のブランドプロデュースは初めてで、とても不安だったのですが、先方がすごく理解のあるクライアントだったので、自分自身が着たいと思えるものを作らせてもらえたのが大きいです。色々な要因はあるものの、ここまでヒットするとは自分でも予想外でした」
表には名前を公に出していないが、その新ブランドの躍進を手掛けたのが中田だということは、多くのファッション関係者やファッションフリークも知るところとなった。そのタイミングでコロナの流行が始まる。
「コロナのロックダウンで暇になってしまって、なんとなく自分を見つめ直し始めたんですね。自分が好きなこと、自分のルーツって何だろうと考えながら、それを1枚の紙に絵付きで描いてみたんです。それを描いているうちに、人生は一回きりだし、自分でブランドをやってみたいという気持ちが湧いてきて。言ってしまえば、欲が出てきたんですね。“BEAMSの中田”って世間では思われているけど、様々な企業、メーカーとの取り組みを通して、自分のブランドでも勝負してみたいと」
そのタイミングで社内から「本を書いて欲しい」というオファーがあり、書き上げたのが、『UNLIKELY THINGS(I AM BEAMS)』だ。
「その頃独立を考え始めた時期だったので、書いていいものか悩んで社長にも相談したんです。でも『そんなの気にしなくていい』と言ってくれたので、僕が好きなものだけど、BEAMSの考え方も理解できるような、僕の中の”BEAMS卒論“みたいな気分で書き上げました」
今回ブランド名になった「Unlikely」は、ここで世の中に初めて登場する。その意味合いは直訳すると「ありそうもない」だが、中田は独自に「ありそうで、ない」や「天の邪鬼」という意味に解釈を広げたという。
○○じゃなくてもいい服
ローンチしたUnlikelyの服は、実際に中田の「ありそうで、ない」や「天の邪鬼」を体現したブランドになった。それは膨大な正統派アメカジの知識を持ちながら、アメカジにとらわれずに幅広くファッションを見通してきた中田にしか出来ないアプローチになっている。
「アメカジって突き詰めると『○○でなければいけない』とかになってしまう部分があるんですね。大好きな部分でもあるのですが、自分はミーハーなので、いろんなファッションをやりたいと思ってあちこちに触手を伸ばしてきたタイプ。BEAMSセクションで経験できたアレンジの美学、そう来たか、の化学反応を楽しむ学びも大きな理由となります。だからUnlikelyでは『○○でなくてもいいんじゃないかルール』に解釈することにしたんです。BEAMS PLUSでアメカジの真髄みたいなところを学んだことを、あえてアレンジしたり遊んでみれば、面白がってくれる人も多いかもしれないと」
今回のUnlikelyのファーストシーズンは、洋服12型、そしてネクタイなどの小物7型の計19型のコンパクトなコレクションだ。その中でUnlikelyを象徴するアイテムと中田が言うのがネイビーブレザー。一見すると普通のネイビーブレザーだが、実はかなりのこだわりが詰まっている。
「僕が生まれた年に生産されたBROOKS BROTEHRSのネイビーブレザーの古着を見つけたんです。70年代らしいラペルも大きなものなのですが、袖を通したら可愛いと思ってしまって。だから今回のネイビーブレザーには、70年代のラペル、60年代のボックスシルエット、50年代っぽいフィット感、30年代、40年代の低い位置のポケットとか、年代を混ぜ合わせつつ、裏地にはあえてリップストップナイロンを使いました。マウンテンパーカを着るようにジャケットを着る、アメリカントラディショナルとアウトドアの融合です」
他にも中田が大好きなウディ・アレンがいつも着用しているM-51のジャケットを参照しつつ、襟にボタンホールを付けたミリタリージャケット。その裏地にはまさに「ありそうで、ない」仕様で、テーラードジャケットに使われるキュプラを採用した。
「デニムパンツはこだわりの強い方々が作っているものが多いので、その中で自分が作るとしたら、自分の好きなものの融合しかないかなと思いました。僕は裏原時代にHFさんの影響を思いっきり受けているので、デニムといえばストレートじゃなくて少しテーパード派なんですよ。ジッパーフライでこのシルエットが好きで。僕の体型に合っていた60年代のスリム型の股上の深さ、縫製の手法はステッチの色が工場のラインで変化がある雰囲気を採用し、生地には少しまろやかに色落ちする学生時代に履いていたあのモデルで1977年当時に使われていた生地を復刻している会社のものを使わせてもらったり。40、50、60、70年代の要素が入っているので、タイムトラベルジーンズと名前を付けました」
ダウンジャケットは、中田の好きな70年代のクラシックアウトドアウェアブランドの名品達のディテールなどの要素を取り入れながら、ダウンをパンパンに詰め込んで、中田曰く“マシュマロマン”のようなポップなシルエットを取り入れた。当時を代表するアウトドアファブリックである、コットン40% ナイロン60%の比率、通称“ロクロン”の風合いを再現したナイロン100%の素材で、特有の色落ちを回避している。
アメカジはモードになる?
中田は自らのファッションを築く上で身上にしていた「かわいさ」、「ポップさ」を、そのシルエットやパターンにも取り入れている。その延長にあるのが今回のコレクションに向けて自らがスタイリングも行ったルックにも現れている。
「僕がアウトドアファッションで学んだのは、レイヤードです。だから今回のルックでも、オーバーなくらいに重ね着をしたルックを作りました。ここにはちょっと狙いもあって、こういう誇張した重ね着とかってモードにも通じるのかなと考えているからです。やっぱり単にアメカジブランドに収まりたくなくて、夢を広げるならやっぱり世界にも出てみたい。こんな重ね着はこれまで誰もやっていないかもしれないので、日本で解釈してきたアメカジを発信していきたいんです。そういう中で、ずっとアメカジをファッションとして突き詰めて、現在はKENZOの仕事をしているNIGO®さんの存在は本当に大きくて、改めてリスペクトしています」
“アメカジ”は日本で複雑な進化を遂げてきたカテゴリーだ。1970年代に雑誌『POPEYE』の登場によって多くの日本の若者がアメカジに魅了される。その同時期に原宿にオープンしたのがBEAMS。その後1980年代には渋谷を席巻したインポートブームの“渋カジ”、そして1990年代にはストリートファッション隆盛の傍でレプリカジーンズなど日本が独自解釈したアメカジが発信され、2000年代には世界的にアメリカントラディショナルのブームが再来。日本の“AMEKAJI”が世界から注目される。そして2020年代のここに来て、再びL.L.BeanやEddie Bauerなどが日本国内で復活の狼煙を上げている。そんなタイミングで産声を上げた中田のUnlikely。
「今年は本当にいろんなアメカジブランドがローンチしているんで、ちょっとビビっているんですけどね(笑)。でも今の時代の空気って、2000年にBEAMS PLUSが出てきた空気に少し近いものを感じるんです。もしかしたらみんなが『アメカジはダサい』と思っているかもしれないこのタイミングで立ち上げるからこそ意味があるんじゃないかって。このファーストコレクションの服はこの先僕も良い素材の服を長く着続けたいと思って作ったので高くなってしまったのですが、22年間BEAMSで学んだことは表現できたかなと思っています」
2023年秋、中田慎介によるアメカジの逆襲が始まった。
Profile
中田 慎介 | Shinsuke Nakada
1977年栃木県生まれ。大学卒業後、アルバイトとして2000年にオープンしたBEAMS PLUSのスタッフに。BEAMS PLUSに15年間従事し、ディレクターとして活躍。2016年にBEAMSのメンズカジュアル統括ディレクターに就任。2018年にBEAMSクリエイティブディレクターに就任し、BEAMSのB to B事業として様々なメーカーやブランドのディレクションやデザインに携わる。2023年3月にBEAMSを退社し、2023年9月に自らのブランドUnlikelyをスタートする。著書に『UNLIKELY THINGS(I AM BEAMS)』(世界文化社)がある。
https://www.instagram.com/nakadashinsuke/
https://www.instagram.com/unlikely_drygoods/
(編集後記)
中田さんはBEAMSのメンズカジュアル統括ディレクター時代にお会いしている。その後のBEAMSにおけるB to Bの事業での八面六臂の活躍は見てきたので、今回のUnlikelyの立ち上げは全く違和感がなかった。中田さんはアメカジ知識も愛も豊富ながら、それを俯瞰する目もお持ちの方。そのブランド名が示す通り、Unlikelyが単なるアメカジブランドに留まらない注目を集めるのは、時間の問題だろう。(武井)